幸せの基準
節分。 鬼は当然、父親である自分。
「 鬼は~外! 福は~内! 」 子供達の大きな声で豆まきが始まる。
「 鬼は~外! 鬼は~外! 鬼は~外! ・・・・・・ 福は~内! 」
オイオイ、鬼は~外が多くないか?
子供達は楽しそうに鬼に豆を投げてくる。
鬼の面を被り次男に追いかけられていると、道行く若いお姉さんがそれを見ながら
笑いながら歩いて行く。
豆まきが終わり撒いた豆を片付けていると、家の中からまだはしゃいでいる
子供達の楽しそうな声が聞こえる。
その声を聞いていると、なんとも言えない幸せな気持ちになってくる。
もし二十歳の時の自分が今の自分を見たら、馬鹿にしたような目で見ていた事だろう。
家業の失敗。 家庭の崩壊。 夢への挫折。
たったで一人で、社会を全て斜めに見ていた頃。
平凡な家庭などつまらないものだと馬鹿にし、いきがっていた時代。
人の上に立つ事が、幸福を得る手段だと思っていた。
そんな野良犬に手を差し伸べてくれる人が表れ、仕事そして社会を学ぶ。
その後、様々な事がありながらも月日が流れ、愛する者ができて3人の子供を授かった。
その子供達は、自分の考え方を修正し私を父親として育ててくれている。
子供と接する事により、自分の幸せの価値観は大きく変わった。
大風呂敷を広げいきがっていた二十歳の自分。
平凡な家庭に幸せを感じる今の自分。
どちらも、自分自身。
でも、孤独だった二十歳の頃の生活があったからこそ、
家族がいる今を幸せに感じるのある。
平凡な家庭・・・それを守る為に、背負っているものは大きく重い。
でもその重さの分、幸せを感じる事も多い。
今、自分にとって一番大事なもの。 それが幸福感の基準。
家族が寝入った、一人の時間。 酒を傍らにこんな事を思っています。
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